Principal's Greeting

来春、高校生になるみなさんへ

大東学園の学校案内をご覧いただき、ありがとうございます。
本校の教育や三者協議会、そして部活動などいろいろな取り組みについて、知っていただけたでしょうか?
私たち大東学園では、高校生活の3年間を“大人になる準備期間”として位置づけ、
幅広い体験を通して視野を広げてほしいと考えています。
私たちは、みなさんが“大人になる”ための最強のサポーターだと自負しています。
これから大東セミナーや大東祭(文化祭)、学校説明会が始まります。
ぜひ参加していただき、私たち教職員や在校生と出会ってください。
そして、大東学園をもっと知ってください。
お会いできることを楽しみにしています。

校長 原 健

校長通信

2024.7.8 創立記念のつどい

教育目標 ~人間の尊厳を大切にする~
大東学園の教育目標「人間の尊厳を大切にする」は、大東学園が「人間の尊厳を大切にする」教育活動をすすめていくのと同時に、生徒のみなさんも一人一人が「人間の尊厳を大切にする」存在として成長・発達していくことを目標としています。
今回は創設者 守屋東先生が大東学園を創立した頃のことをお話しします。

肢体(したい)不自由児のための学校 ~クリュッペルハイム東星学園~
1932年(昭和7年)、東は48歳。日本が15年戦争の真っただ中の頃。東は女性、子ども、障がい者であっても分け隔てなく教育が受けられるべきという現代にも通じる近代的な人権意識のもと、世田谷区の上野毛で肢体不自由児のための病院と学校を兼ね備えた「クリュッペルハイム東星学園」設立準備に取り掛かりました。同時に学校看護師や養護教員の養成所も創設しました。こうして日本で初めて肢体不自由児の教育が開始されました。この学校が現在の大東学園のおおもとになりました(どのような学校だったのか、右のコラム参照)

大東高等女学校から大東学園高等学校へ
そして1942年には大東高等女学校を創立しました。アジア太平洋戦争の開戦直後でもあり、英語は敵性語としてほとんどの学校教育の中から排除されている時代でしたが、大東高女では「遠からず英語が必要な世の中がくる」との考えから英語教育が行われていました。「禁断の聖書と英語の本持ちて壕(ごう)に入れば爆音迫る」「警報下ロウソクともし書き綴る英単語ゆれるPEACE」…当時の生徒の短歌です。
空襲の激化に伴い1944年にクリュッペルハイム東星学園の事業を停止せざるを得なくなりましたが、この大東高等女学校が戦後の学制改革により1948年、大東学園高等学校となりました。

 私立学校にとって建学の精神は存在理由であり教育の核心です。創設者守屋東先生の遺志は現在の大東学園にも連綿(れんめん)と引き継がれています。始めに述べましたように、東の教育づくり・学校づくりの思い、目指した理想の社会づくりの遺志は大東学園の教育目標「人間の尊厳を大切にする」の中に生き続けています。

2024.7.8大東学園通信(創立記念の集い)docxのサムネイル