Principal's Greeting

来春、高校生になるみなさんへ

大東学園の学校案内をご覧いただき、ありがとうございます。
本校の教育や三者協議会、そして部活動などいろいろな取り組みについて、知っていただけたでしょうか?
私たち大東学園では、高校生活の3年間を“大人になる準備期間”として位置づけ、
幅広い体験を通して視野を広げてほしいと考えています。
私たちは、みなさんが“大人になる”ための最強のサポーターだと自負しています。
これから大東セミナーや大東祭(文化祭)、学校説明会が始まります。
ぜひ参加していただき、私たち教職員や在校生と出会ってください。
そして、大東学園をもっと知ってください。
お会いできることを楽しみにしています。

校長 原 健

校長通信

2023.9.1 2学期始業式

みなさん、おはようございます。約40日間の夏休みが終了しました。普段はできない多くの経験ができたのではないでしょうか。通常の学校の授業ではできない勉強をする、部活動に力を入れる、アルバイトに集中する、3年生は進路の取り組み、就職活動やオープンキャンパス、入試のためのエントリーシートの作成など、通常の学校生活とは違った経験が、きっと皆さんの力になっているでしょう。また、9月の末にせまった「大東祭」の準備に取り組むクラスや部活もみられました。今後が楽しみですね。今年の夏は大変暑い日々が続きました。統計的に最も暑い夏だったということです。まだしばらくはこの暑さが続くということです。熱中症予防を意識しながら2学期をスタートしましょう。
~平良(たいら)啓子(けいこ)さんのこと~ 
 大東学園の沖縄修学旅行は現地沖縄の多くの協力者の皆さんの力で、豊かな学びと経験が支えられています。1学期の終業式の通信の中で紹介した「ガマフヤー」の具志堅隆松さんもそのお一人です。なかでも実際に沖縄戦を体験された「語り部」の皆さんは、一言では表現できないほどの大切な存在です。残念なことですが皆さん高齢となり最近では訃報をお知らせすることが多くなりました。なかでも平良啓子さんは26年目となる沖縄修学旅行のさらに前の準備段階からお力を貸してくださった、私たち大東学園の先生たちにとっても沖縄の学びの「先生」のような大切な方でした。悲しいお知らせが届きました。1学期終業式に続いて沖縄の話になります。
~沖縄からの疎開船「対馬丸」の生存者 平良啓子さん死去88歳~(NHK鹿児島webnewsより)
太平洋戦争中の79年前、沖縄から九州に向かう途中、トカラ列島の沖合でアメリカ軍に撃沈された疎開船「対馬丸」から生還し、自らの体験を語り継いできた平良啓子さんが29日、大動脈解離のため亡くなりました。88歳でした。
 対馬丸は、太平洋戦争中で沖縄戦の前年の昭和19年8月22日、沖縄から疎開する子どもたちなどを乗せて長崎に向かう途中、鹿児島県のトカラ列島の悪石島沖でアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、800人近くの子どもを含むおよそ1500人が犠牲になりました。奄美大島にある宇検村(うけんそん)の海岸には、犠牲者の遺体が数多く流れ着きました。
 対馬丸に乗っていた当時9歳の平良さんは、撃沈されたあと、油まみれになりながら漂流する樽にしがみついて九死に一生を得ましたが、投げ出された子どもたちがサメに襲われる惨状に直面するなど、過酷な体験を踏まえ、二度と戦争を繰り返してはならないという思いで、自らの体験を精力的に語り継いできました。
 去年秋の講話で、平良さんは「戦争体験者が減ってきているので焦っている。語り継ぐ後継者を育てないといけないと思う」と話し、来月も複数の講話が予定されていたということです。対馬丸記念館によりますと、平良さんは29日午前10時23分、名護市内の病院で大動脈解離のため、亡くなったということです。88歳でした。

平良さんは沖縄北部の大宜味村にお住まいで、大東学園の修学旅行でお話を聞くのは那覇など南よりの場所が多かったのですが、いつもお嬢さんの運転する車で駆けつけてくださいました。平良さんの講演中に居眠りしたりおしゃべりをする行儀の悪い生徒もいて、終わった後にお詫びをすると「いいんですよ。学校や先生の言うことを疑うこともせずに聞いていた時代が戦争を引き起こしました。元気で自由に過ごす生徒さんを見ると、むしろ安心します。」と言われました。身をもって沖縄戦の戦争体験をした方だからこその言葉だと深くかみしめました。ご冥福をお祈りいたします。