Principal's Greeting

来春、高校生になるみなさんへ

大東学園の学校案内をご覧いただき、ありがとうございます。
本校の教育や三者協議会、そして部活動などいろいろな取り組みについて、知っていただけたでしょうか?
私たち大東学園では、高校生活の3年間を“大人になる準備期間”として位置づけ、
幅広い体験を通して視野を広げてほしいと考えています。
私たちは、みなさんが“大人になる”ための最強のサポーターだと自負しています。
これから大東セミナーや大東祭(文化祭)、学校説明会が始まります。
ぜひ参加していただき、私たち教職員や在校生と出会ってください。
そして、大東学園をもっと知ってください。
お会いできることを楽しみにしています。

校長 原 健

校長通信

2023.7.7 創立記念の集い

~教育目標「人間の尊厳を大切にする」~
 大東学園の教育目標「人間の尊厳を大切にする」は、大東学園が「人間の尊厳を大切にする」学校であるとともに、生徒の皆さんも「人間の尊厳を大切にする」存在として成長していってほしいという願いが込められたものです。今回は大東学園の創立の歴史と現在の総合科目『平和』のつながりについて考えてみましょう。

~ 創立者 守屋 東 先生と『平和』の学び ~
 大東学園は今から91年前、守屋 東(あずま) 先生により創立されました。東が社会活動家・教育者として活動した時期、明治の終わりから昭和にかけてはどのような時代だったのでしょうか。それはまさに日本の戦争の時代でした。東が代用教員として尋常小学校で働き始めたのは日清戦争を終え、日露戦争を目前にした1902年、そしてさまざまな活動を経て大東高等女学校を創立したのがアジア太平洋戦争開戦の翌年1942年です。戦争の時代、「富国強兵」の国策・風潮の中では「お国のためにお役にたてるか」が最優先される価値基準となり、真っ先に犠牲になっていくのは社会的弱者である「こども」「女性」「障がいのある人」たちでした。そのような時代背景…社会的弱者は差別・排除の対象となり、人権など考えすら及ばない時代…その中で、東は当時としては非常に先進的な人権意識を持って「こども」「女性」「障がいのある人」の人権擁護(ようご)の運動と教育づくりに取り組み、現在の大東学園高等学校の礎(いしずえ)を築いたのです。

また、戦争は、始まってしまえば正義も悪も、敵も味方も関係なく「普通」の人々の日々の暮らしや命を情け容赦なく奪っていきます。また、勝っても負けても戦争にかかわった国の人々の人権が蹂躙(じゅうりん)されることは避けられません。人々の人権が守られるための一番大切な条件は世の中が「平和」であること、そう確信した東は第一次世界大戦後にアメリカで開催されたワシントン軍縮会議に参加するため20日間以上をかけて船で渡米しました。その目的は当時日本で集められた「世界平和と軍備縮小を求める日本婦人10000名署名」をアメリカのハーディング大統領に手渡すためでした。守屋先生の「こども」「女性」「障がいのある人」の人権擁護の運動と「平和」を求める活動は、このようにまっすぐ一本につながっていたのだと思います。

 ~ 大東学園 2年生の総合科目『平和』 ~
 大東学園では総合科目として1年生では「性と生」3年生の「人権」や、その最高の条件整備である「平和」を2年生の総合科目として位置付けています。総合科目「平和」では今から78年前の沖縄戦と、そこから続く現代の基地問題から「平和」を学び、考えます。沖縄修学旅行も今年で26年目となります。なぜ、沖縄なのか?ということですが、沖縄には78年前の「戦場」が、その「空気」が、そのまま今も残っている場所が多くある、ということだと思います。沖縄戦当時、人々は日米両軍の砲弾を避けるため“ガマ”と呼ばれる自然洞窟に身を潜めました。“ガマ”は日本軍の陣地としても使用されました。また、住民たちが集団で強制的に自殺に追い込まれた『集団自決』の現場にもなった場所です。そこには今も78年前と同じ空気が漂います。嘉数高台という小高い丘があります。現在のアメリカ軍普天間基地を見渡せる場所として大切な見学地です。そこには沖縄戦当時、日本兵が上陸してくるアメリカ軍を見張り、迎え撃つためのトーチカ(コンクリート製の小さな陣地)が今もそのまま残っています。内部に潜み、小さく開いた「銃架」に銃を構え“敵”を待ち受けた場所です。そこで当時の日本兵の若者たちは何を思っていたのでしょう。想像力が働きだします。
「自分は戦争のない時代に生まれてよかった」とか「基地の問題は沖縄のことでしょ」というのではなく、時間や空間を超えて想像力を働かせ、「平和」の学びを「他人事」ではなく「自分事」として考えます。『平和』を学び考えることは教育目標「人間の尊厳を大切にする」とまっすぐにつながることであり、守屋先生の建学の精神に通じることなのだと思います。